中央地協は設立10周年を迎え、記念事業として東北被災地への復興支援視察研修を、7月31日から8月1日にかけ実施しました。現幹事、旧役員の総勢23名の参加となりました。
視察地として、名取市閖上地区、塩釜市、仙台空港を見聞させていただきましたが、塩釜市、仙台空港は概ね平静を取り戻したように見受けられました。ただ、閖上地区は道半ばの感があり、これからも多くの時間を費やさざるを得ない、そんな現状が見て取れました。
閖上地区には、慰霊碑近くに「閖上の記憶」が立っています。これは、慰霊碑を守る社務所として、地元の人たちが立ち寄れる場所として、そして、震災を伝える場所としてあります。私たちは、ここから視察をスタートし、引き続き専門の「閖上案内ガイド」により、被災の状況、復興の進捗等わかりやすい説明をしていただきました。このガイドさんたちは、自ら被災された方々です。私たちのガイドさんは、夫と息子(郵便局勤務でたまたま休暇)を津波で亡くされたそうです。
名取市の震災により亡くなられた方は約千人ですが、そのほとんどがこの閖上地区に集中してしまったとの事です。海抜0メートルから数メートルの低地では、津波を防ぐ術はなく、人も家も容赦なく、幾星霜を経て築き上げてきたものすべてを、黒い濁流が飲み込んでいく。まさに地獄絵そのものであったと。目の前の現状に抗う事の出来ない、一人の無力な存在に落胆したことでしょう。
さて、復興の方に目を向けますと、事業は進んでおり、地盤のかさ上げ造成工事(盛土で5~6メートル)に重機が縦横無尽に作業展開中でしたが、未施工の場所には、建家が流され、基礎だけが残る惨状が散見され、爪痕を消し去るには、まだまだ歳月を費やすことが想定されます。
一方、海岸線方向を眺めると、なんと海が見えない。当然と言えばそれまでですが、防潮堤が完成済。一望できる海の景観より安全を優先させた結果のものです。わかっていることとはいえ、厳しい現実を前に、心の片隅に割り切れなさが残ってしまいました。
最後に、ガイドさんから「自分の命は自分で守る。命の再生はできません」と、切々と訴えるように語っていただきました。一同、低頭。今後の教訓にしたいと思います。
後記
「津波てんでんこ」という言葉があります。これは、家族を助けに行こうとして命を落とす。つまり、家族の絆がかえって被害を大きくするということを経験してきた三陸地方に伝わる言い伝えです。「津波が来たら、親も子もお互いのことは心配せず、真っ先に逃げよう」という事です。
しかし、「津波てんでんこ」は、家族の信頼があってこそのこと。家族全員が自力で逃げているはずだと信じられるからこそ、「津波てんでんこ」が成り立つのです。
「天災は忘れた頃にやってくる」茨城も東日本大震災の被災県でもあり、昨年も関東東北豪雨による鬼怒川の決壊被害を受けました。
災害は非情であり、慈悲はありません
私たちは、経験を通して得た知識を、後世に継承していかなければなりません。