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2016年8月25日木曜日

平和行動inヒロシマ(8/4~8/6)

~核兵器廃絶と世界の恒久平和を求めて~


8月4日(木)~8月6日(土)、連合主催の「平和行動inヒロシマ」が開催され、連合茨城からは30名が参加しました。5日(金)は連合広島がガイドを務めるピースウォークからと「連合2016平和ヒロシマ集会」、6日(土)は広島市主催の「平和記念式典」に参加しました。被爆地・広島はこの日、71回目の原爆忌を迎えました。二度と同じ悲劇を繰り返さないよう、語り継ぎ、考え、行動していくことが大切であると感じました。

オバマ大統領が記したメッセージと折り鶴

参加者のみなさん

茨城県中央メーデーで平和への祈りを込めて折った千羽鶴を献納しました

2016連合平和行動・広島 
電力総連:田中勇次

 8月4日~6日の3日間、連合参加させて頂きました。
 広島へ原子力爆弾が投下されたことは、学校教育の一環として教えて頂いたことしかなく、他人事として考えておりました。今回原爆ドームを訪れ、実際の建物の状態や資料館の見学をさせて頂き、私自身初めて悲惨な出来事として痛感しました。
 平和ヒロシマ集会では、実際に被爆された方の体験をお聴きしました。不自由な生活を強いられいつまで生きられるのか分からない恐怖と戦いながらも、平和に向け後世に語る姿に心打たれました。
 若者からのメッセージでは、高校生平和大使の皆様のスピーチをお聴きしました。
ご活躍されている高校生平和大使の活動報告や思いを聴き、少しずつ核兵器廃絶へ向かっていること、若者も真剣に廃絶に向けた取り組みをしていること認識しました。

 まだまだ核兵器撤廃までの道のりはあると思います。平和活動に参加したことで自分の考えを改めると同時に、少しでも協力できるよう平和活動に参加していきたいと思いました。


ヒロシマ平和行動報告
連合茨城いきいきユニオン 
鈴木 研
8月4日から6日の日程で「連合ヒロシマ平和集会」、「ピースウオーク」、「広島平和式典」の各行事に参加させていただきました。こうした各行動への参加を通じて感じたことは連合傘下のユニオンの組合員としての誇りを持ち職域を超えて、「連合」という組織の中で一致団結して、関係各組織や連合組織内議員と連携をはかりながら様々な行動に参加して働く人の視点から政治を監視し、「連合」が目指す社会の実現を目指すことが大切だということです。
平和集会に参加した高校生平和大使の方が最後に言っていた「私たちひとりひとりは微力だけど無力じゃない」という言葉は私たちに「団結」と「行動」の大切さを改めて教えてくれた気がしました。


2016ひろしま平和行動報告
鹿行地域協議会   
自治労 和知 秀幸

初めて原爆ドームを目の当たりにしたとき,悲しみ・寂しさ・畏怖の念,様々なものを感じた。復興後の広島からは考えられない悲しい出来事が,一瞬にして数多くの人が亡くなった場所がまさにここなのだと改めて考えさせられた。ピースウォークでは原爆ドームから平和記念公園をガイドさんの案内のもと歩き,途中で平和の鐘や原爆の子の像など色々なモニュメントを見学した。現在の平和が築かれるまでの歴史の重みを感じた。
ピースウォーク終了後は平和記念資料館を見学してきた。原爆の恐ろしさを物語る被爆者の遺品の数々,被爆後遺症の恐ろしさ,中には目を覆いたくなるような写真もたくさんあった。当時の生活が一瞬にして火の海に変わった事実がまじまじと物語られていた。
その後,連合2016平和ヒロシマ集会では,坪井直さんの被爆体験証言を聞き,当時の凄惨な様子をリアルに想像することができた。熱風で皮膚がただれ,衝撃で目玉や内臓が飛び出し,瓦礫に埋もれて身動きが取れない人,水を求めてたくさんの人が川で死んだこと。病院や避難所には死臭が漂い,生き残ったことは奇跡であったが,その後にも被爆後遺症や差別に苦しみ,人や環境,人生,歴史まで変えてしまう原爆の恐ろしさについて学んだ。本物の体験談を聞き,当時の様子を感じることができたのは貴重な体験であった。
最終日86日は平和祈念式典に参列した。外国人も多く参列されていて世界中から平和への思いが募っているのを感じた。平和宣言では核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現が訴えられ,参列者皆の心に響いたことと思う。
今ある平和は多くの尊い命の上に成り立っており,世界中で平和への思いは連鎖している。しかし,現在でも約15,350発の原爆がある事実やテロの脅威,日本を見ても竹島や北方領土,尖閣諸島等,様々な問題があり,平和の文字に不安を感じる出来事は多い。いくら平和を願っていても,人が富を求め続ける以上,国益・経済・資源・宗教・人種等,争いはなくならないかもしれない。それでも,過去の事実から学ぶことはできる。原爆が絶対悪なのは間違いない。最初で最後の被爆国である日本だからこそ,もっとたくさんの人に広島・長崎に足を運んでもらい,これからも事実を広め,平和について訴え続ける責務があるのだと思った。